【Contribution】親和から重層的な乱流へ:二色の墨の物語:2020年国内三館巡回『墨は流すもの─丸木位里の宇宙─』展にふれて
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【Contribution】親和から重層的な乱流へ:二色の墨の物語:2020年国内三館巡回『墨は流すもの─丸木位里の宇宙─』展にふれて

丸木位里 竹林 1964年 富山県水墨美術館

 ちょうど去年の今頃─。「没後25年、過去最大規模」を謳う丸木位里展が4月の広島にはじまり、およそ一年かけて日本の西半分を巡回すると耳にした。胸が高鳴った。前後期で展示替えのある、出品数100点超の大展覧会だという。

 わたしは愛知と富山の二会場に足を運んだ。

 内容、構成ともに見ごたえのある企画で、そこには1920年代から1990年代に至る長い画業のダイジェストにしてエッセンスの観があった。

 とくに目をひかれたのは、調査過程で発見された多数の初公開作品で、本展にかける関係者の周到な準備と情熱をひしひしと感じた。

 けれども、会場を周遊するうち、展示の完成度と、コンセプトの「墨は流すもの」との隔たりが次第に大きく感じられて、私はつい考えこんでしまった。

丸木位里 シムクガマ 1987年

 周知のように、丸木夫妻の代表作である〈原爆の図〉連作は東西冷戦構造の中で、反戦反核を願う世界市民の集合意識の表象と化していく。

 それは芸術の持つ複数の〈可能性の中心〉の現実化として望ましいものだったが、反面、半ば神格化されたイコン化と引き換えのいびつな事態でもあった。

 私は師の一人、美術評論家ヨシダ・ヨシエ(1929〜2016)は、自らが加担したこうした〈聖化〉から、〈原爆の図〉連作を救済する必要性を痛感していた。

 本来の丸木研究に求められるのは、泥濘をゆく牛車さながら逡巡をくり返す、不器用な〈図〉連作の歩みを、核時代の進行と対照し、轍にまき散らされた未解読の未来の種子を丹念に検分することではないだろうか、と。

丸木位里 右:三瀧山二題 1933年 左:睡蓮 1937年

 こうしてヨシダは位里の死の翌年、『丸木位里・俊の時空 絵画としての「原爆の図」』(青木書店、1996)を上梓した。

 その執筆中、もっぱら聞き役として私は彼の思考のダイナミズムにふれた。これをまとめると、「美術史的発想の転換なくして丸木の理解も救済もない」「核時代以前・以後を境にした技法の変容」「松澤宥と対にして考える」の3点になろうか。

 この問題意識を『時空』は明確には反映していない様子だが、以上を踏まえて、位里(1901〜1995)の絵図を、私なりに構造化してみる。

 習作期、戦争期にうかがえるのは、彼が基本的に人間(ビオス)を対象とせず、もっぱら風景と動植物の─つまり水墨画の伝統的哲学を信奉する画家だということだ。

丸木位里 原爆の図デッサン 1947年

 墨と人間のギブ&テイクという東洋型牧歌的親和性の下、岩肌や牛や花を媒介として、ゾーエーとの交感を願った青年を、まず侵犯するのが刻々と深刻さを増す、戦争の世紀の不安だろう。しばしば〈前衛的〉とされる、死の色濃い影を宿した墨表現がここから生まれる。

 ついで1945年夏、1939年に仕込まれた核時代がいよいよ幕を開ける。そこに到る世界大戦という前史と、人類が母星という生命圏を滅ぼしかねない極限状況=〈世界態〉変更の到来にあたり、〈位里=俊・分有〉態が採択した手法のひとつが、〈人体・ひとがた〉だったこと興味深い。

 俊を介し、位里は、人間(ビオス)を、群像(ゾーエー)へと変換させた上で、画上に召喚する。そして、〈世界態〉の激変により、〈もはや流せざるもの〉へと変容した、流浪の墨微粒子が、逆説的だが、この変換と召喚に道を拓いた。

 二次大戦後の世界秩序は、不意に訪れた人為的な地球環境の全的滅亡の可能性を排除するどころか、むしろ意図的に内側に組み込むことで、人間圏はもちろん、生命圏をも畸形化してしまった。

 人間の呼びかけに自然の〈理法〉が応える。その媒体としての墨の親和的位相「流すもの」の破綻後、墨はときに失われた時代への思慕を口遊みつつも、群像と同様、反転した世界の震えと慄き、またそれらへの哀悼など多様な溶質を揺曳させるあらたな溶媒として機能、展開してゆく。

 ヨシダは、人為的全体死の冥暗に水漬き、浸されゆく新時代における、美の抵抗的可能性を、位里の営みに見出せまいかと考えたのだ。

丸木位里 松 1926年

 繰り返すが、〈世界態〉の激変にともない、位里の制作哲学と技法は喫緊の対応を迫られた。それは「墨は流すもの」というプレ・ヒロシマ型水墨画モデルの破綻後の、〈墨はもはや流せざるもの〉というポスト・ヒロシマ態下でのあらたな制作の模索と捉えられるべきだろう。

 旧〈世界態〉下の45年、新〈世界態〉下の50年が位里のフィールドだった。前後の画業を断絶のままに統合するまなざしがいま、痛切に求められている。

 拙文に、いままで考えてきたことなどをあわせて、年内にささやかな丸木論を発表したい。  

 (文・写真:石川翠)

※画像はすべて著者が富山県水墨美術館で撮影したものです。
※本ブログは、石川翠氏の寄稿となります。どうもありがとうございます! 

■石川翠氏プロフィール
 1960年生まれ 文化・芸術評論家 aica(国際美術評論家連盟) WAC(世界考古学会議)Ψ松澤宥リサーチ・プログラム各会員。2008年、「井上有一Pinceau sauvage─日本書から〈世界書〉へ」で第一回墨評論賞準大賞。核時代における芸術の位相を研究テーマのひとつとする。※写真は2019年、チェルノブイリ原発前の著者

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