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[Physical Expression Criticism]舞踏という思想

[Physical Expression Criticism]舞踏という思想
写真:大野一雄『ラ・アルヘンチーナ頌』(1977年)photo:池上直哉


 このコラムの通しタイトルを身体表現批評(Physical Expression Criticism)としたのには、理由がある。それは、私が舞踏という身体表現をきっかけに文章を書いてきたからだ。

 2010年に103歳で亡くなった大野一雄という舞踏家。その舞台『ラ・アルヘンチーナ頌』を1977年に見たことが、私の原点なのだ。それ以来、舞踏や舞踊、演劇などのさまざまな舞台を見てきた。そして、20年近くたって、大野一雄のインタビューをして文章を書いたのが、現在の活動の始まりだ。

 大学で、フランスの19世紀詩人ロートレアモンを専攻したのも、身体論に関心があったからだ。シュルレアリスムの先駆とされる詩人で、さらに、シュルレアリスムを含めた多くの画家、作家の作品にも触れた。ロートレアモンの作品『マルドロールの歌』を大野をはじめとする舞踏家たちが踊っている。

写真:大野一雄『ラ・アルヘンチーナ頌』(1977年)photo:池上直哉

 それでは、舞踏とは何か。

 1959年、土方巽の『禁色』に始まるとされる前衛舞踊で、当初、暗黒舞踊、さらに暗黒舞踏と呼ばれた。これは、土方巽が大野一雄と出会ったことで生まれた。その後、笠井叡、麿赤兒、さらに次の世代と半世紀以上たち、現在まで多くの舞踏家が生まれている。

 舞踏というと、裸で白塗りしてゆっくり動くというイメージが強いが、もちろん、それだけではない。舞踏は他の舞踊にない独自の身体表現である。それは「身体とは何か」「踊りとは何か」を追求して表現するという、踊りの根源を求める思想、イデオロギーであり、身体論そのものなのだ。

 多くの舞踊が型や動きを学ぶことから始めるが、舞踏はそうではない。呼吸や自分の身体を知り、探ること、身体の使い方、動かし方、自然と感応することなどを求める。大地を感じ、立つこと、歩くことを追求する。そうやって自分自身の踊りを生み出していくのが舞踏だ。

 他の舞踊では、基礎訓練と動きの修練を経て、ある地点に達して初めてそういう身体思想に触れるようだ。だが、舞踏は入口から身体を考える。それも、私が「舞踏は思想」という所以である。

 舞踏は70年代末に欧州にわたり、多くの舞踊家に影響を与えてきた。舞踏と関わった日本の舞踊家が、フランスのコンテンポラリーダンスに影響を与えたともいわれている。日本でも、舞踏出身のコンテンポラリーダンサーも多い。半世紀前に生まれた前衛舞踊だが、現在にも強くつながっている。

大野一雄『ラ・アルヘンチーナ頌』(1977年)のカーテンコールで大野と踊る土方巽。photo:池上直哉

 欧米で、舞踏家の弟子の外国人に学び、日本の舞踏とはかけ離れた作品をつくる人もいる。「あれは舞踏ではない」と思うこともある。だが私は、本人が舞踏と名乗るなら、それは舞踏でいいと考えている。舞踏は考え方で、型ではなく、定式はないのだから。本当に自由な身体表現の追求なのだ。

 土方巽は「命がけで突っ立った死体」といいう名言を残した。だが、私は、大野一雄の「でたらめに踊りなさい」が好きだ。

 でたらめというのは難しい。舞踊を習ったことがなくても、踊るのが苦手でも、ディスコやクラブ、遡れば幼稚園のお遊戯やフォークダンスなどで、踊った体験はだれでもある。いざ踊れといわれると、そういうものが出てくるかもしれない。それらを一切取っ払って、真にでたらめに踊るのは、難しいのだ。だが、そうやってでたらめに、自由に踊ることで、自分の踊りを探るのだ。簡単ではないが、それが真に自由な踊りの追求でもある。

 そんな身体思想、身体論に惹かれているため、文学、美術、音楽など関心のある対象にも身体性、身体感覚を求めてしまう。もちろん人間の行為はすべからく身体によるものであり、思考や発想にも身体性はあるだろう。私はそういう意味で、常に根底に身体論を抱き、いわば、いつでも舞踏を感じているといえるかもしれない。

 これからのコラムも、おそらくそういう視点が根底にあるものになるだろう。それゆえに、表記のシリーズタイトルをつけたのだ。

 現在、舞踏は海外で広がっており、多くの人々が学び、舞台をつくっている。そして日本でも、北海道や秋田、京都などで舞踏フェスティバルが始まっている。コロナ禍で今年は厳しいが、また多くの舞台が生まれることを楽しみにしている。

※土方巽の巽は旧字ですが、ブラウザによっては表示されないため、「巽」で表記しています。

Critic, writer, editor, university lecturer
Member of the Dance Critics Society and the Japanese Society for Dance Research. Specialty: Butoh, dance, art, literature, surrealism, avant-garde art. Many comments and examinations of dance and theatre, talks of dance theatre and art, performance producing, etc. Author and co-author of numerous books such as "Talk with Butoh Dancers","Bigakko 1969-2019", "Research of Takaaki Yoshimoto", Journal"Tosho-Shimbun", "Weekly Dokushojin", magazines"Dancework", "ExtrART",etc. Director of magazine"Corpus". https://butohart.jimdofree.com/https://butohart.jimdofree.com/

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